さわやかな朝の30分“ライフ・ライン”(福島テレビFTV)毎週日曜朝5時30分

福島県放送伝道を支える会の歩み

春1

 ここに掲載する文章は、2006年7月、シオン錦秋湖において開催された東北教役者会の分科会で、「13年続いたテレビ伝道」というテーマの発題をした際に、過去の委員会の資料等を調査してまとめた内容に手を加えたものです。(木田)

1.福島県放送伝道を支える会の成立

 かつて、「十字架の時間」というラジオ番組をラジオ福島から放送していたが、しばらく放送が途絶えていた。しかし、「福島県の放送を私たちの手で」という大きなビジョンを掲げて、小野芳枝師(日本同盟基督教団)が中心になって、福島県内の諸教会に呼びかけ、1年余りの準備期間を経て、1970年3月29日(日)より、ラジオ福島から「世の光」を放送開始した。放送開始当初の「福島県ラジオ放送準備委員会」には、坂本勝重師(日本イエス・キリスト教団郡山キリスト共同教会)、富岡家一師(東北伝道隊会津聖書教会)、栗原隆師(日本同盟基督教団湯本キリスト福音教会)、グレニス・ジョンズ師(石川荒町キリスト教会)、A・ブルスタード師(日本同盟基督教団)、小野芳枝師(日本同盟基督教団好間キリスト福音教会)が名前を連ねている。当時、毎週日曜日午後7時からの15分番組を放送するために、月額10万円の目標献金額が掲げられていた(内訳;電波料5万円、制作費1万円、フォロアップ費3万円、その他1万円)。また、この働きのために、日本同盟基督教団の宣教団体が、大きな重荷を負ってくださった。ノルウェーの1信徒が、このラジオ放送のために、当時の金額で、35万円をささげて下さったことなどが、過去の資料の中に記録されている。以来、ラジオ放送を通して、1996年まで、27年間、「世の光」を放送した。その間、デイリー世の光とウィークリー世の光の両方を放送する時代を経て、経済的な理由から、デイリー世の光のみ放送と変遷はあった。

2.テレビ放送の開始

 1993年、野田信光兄(創世グループ取締役)が、PBAを通して、「3年間、電波料を献金するから、是非、福島県でテレビ伝道を!」と呼びかけてくださり、当時、福島県放送伝道を支える会の委員長であった原匡邦師(日本イエス・キリスト教団笹谷教会)が中心になって、テレビ伝道の可能性を探った。野田兄弟との話し合いを通して、委員全員に、これは主からのチャレンジであるという確信が与えられ、臨時委員会、協力教会へのアンケート、臨時総会等を経て、1993年11月6日(土)より、福島放送(KFB)より、「ライフ・ライン」放送が開始された。テレビ放送開始時の委員は、原匡邦師(委員長)、後藤正嗣師(会計)、土屋信二師(書記)、富岡家一師、小野芳枝師(フォロアップ)であった。

3.最近のあゆみ

 テレビ放送が開始されると、反響は非常に大きく、年間の献金額は倍増し、視聴者からの反応も、目を見張るものがあった。
 一方、ラジオ放送の献金は激減し、アンケート調査や、2年にわたる激論を経て、1996年の総会でテレビ放送一本に絞ることが決定された。ラジオ放送の献金窓口は残し、献金が200万円を越えた段階で、期間を限定して放送をすることとした。 この決定に従って、2001年1月〜2002年3月まで、ウィークリー世の光が放送された。現在もラジオ放送のための献金は継続されている。
 原匡邦師が委員長の時に、テレビ放送がスタートしたが、その後、鳥井健男師(日本イエス・キリスト教団郡山キリスト共同教会)、後藤正嗣師(保守バプテスト同盟牧羊キリスト教会)と委員長が引き継がれて、現在の福島県放送伝道を支える会が発展してきた。


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